かがやく銀の織女、ヴァイレのつむぐつづれ織は、現世のマンドスの館を覆い灰色に茫洋と帳を下ろす。
さてでは幽世のマンドスにおいてつづれはどう見えるかと、誰も口にしたことはない。
ヴァイレ自身には灰色ではないその帳、特に降りそそぐようにたなびく回廊で、時折、ひとりになりたい魂に出会う。
隠れるのがうまくなった、彼は。
どうしてかをヴァイレは知っているけれど、彼にも他の誰かにも告げることはない。
きっと灰色に曇ったと言われるその姿、二つの木の光の下よりは噎せるような深みを増したその赤毛、振り向いた瞳、はがねの色に揺れる――炎。
疑問は解けて? 声をかけると、彼は薄らと目を細める。
「ご存知なのですか」
「殿の仰ったことなら」
マエズロスは胸を突かれたような顔をした。ああ、そうでした。織女、あなたは過去。あなたは歴史、過ぎたことのすべてはあなたの糸になる。
マエズロスはヴァイレを見る。灰色の帳の中で、銀色の影のようなヴァリエを。
「……共に過ごした幼い子たちに、私は言いました。うつし世でもかくり世でも、シルマリルは――あれは美しいだけ」
言葉を連ねる彼は今、現世にも幽世にも心を置いてはいない。
「何の力もありはしない。癒すことも、時を遡ることも、何もない」
ヴァイレは揺れる帳のように、影の如く厳然と見守る。
「私の腕はあれを掴み、私の胸はあれを抱き、私の眼はあれを見つめているのです」
息を止めるように、マエズロスは微笑む。
「今も」
眼に躍る炎、きっと彼を焼き尽くしたものだろう。ヴァイレは彼に近づく。
「その腕から、その胸から、その瞳から色が欲しいの」
覆い被さる銀色の影を受け止めると、マエズロスは喘ぐような声を上げる。
「誓言は――」
果たされたと。痛みを形にしたように言い募る。
「敵でも、友でも、」
ヴァイレは彼の髪にふれる。
「穢れをもたらす者でも、聖い者でも、闇の眷属でも、」
ヴァイレは彼の頬を撫でる。
「ヴァラでも、マイアでも、我らエルダールでも、後に来る人の子であっても、」
ヴァイレは彼の耳を覆う。
「法や、情や、誓いや、どんな困難が阻んでも…」
声が震え、途切れる。俯く先、灰色の帳が揺れ、銀の影が胸の裡を覗く。
「持っていられないようでは困るのです」
灰と、銀と、その向こうでかがやく瞳。見える炎を瞬間、忘れる。
「私に残されたものを守るためには、誰も来ないところで、誰も見ないように、私が見張っていなくては」
銀のヴァリエは華やかな笑い声をあげた。マエズロスの耳から手を離し、――告げる、声が、夫たるヴァラの声の響きを帯びる。
「シルマリルはあなたの思うところにある」
マエズロスはゆっくりと顔を上げる。
ああ、その色、ヴァイレは陶然とした声を投げかけ、息を呑んだマエズロスの瞳から滴が落ちて、…弾ける。
霞んだ彩が溢れて揺れる。
空のやわらかな薄青、飛沫あげる滝の紫、燃える炎の黄金、夕映えのほの赤い樹の黒……
ヴァイレは糸を紡ぎ現す、果てに織られるつづれの全貌を、マエズロスは垣間見た気がした。
灰色の帳に去る姿の手にはかがやく糸、色は、今もなお炎の中で現身が抱く宝玉をせつなく思い起こさせる。
けれどそれは。
去りゆく姿に問いかける。その糸は何を織るのかと。
銀の織女は告げる。伶人の歌の緯糸と。
シルマリルは思うところにある。灰色の帳がそよぎ、回廊でマエズロスはまた、ひとりに戻る。