広場の向こうを通りがかった時、なつかしい声が全身を包んだ。
遠くと呼べそうな広場の中央には見事な噴水が午後の光に虹を描いていて、噴水の周りをぐるりぐるり、声の持ち主が歩んでいた。
歌いながら歩くものだから、その足取りは踊りに似ている。歌に合わせて水も踊るようで、弾ける飛沫が瞬間、宝飾の複雑さを留めて光る。
噴水と伶人の周りをすこし遠巻きに、群れるのは都びとたちで、彼らの歓声もまた歌の一部になる。ひとの和、歌の輪。
歌は誰でも知っている。言葉遊びの、こどもをあやすのに、酔っ払ったら……古くから数え切れないほど歌われてきた、その旋律。
なつかしいのは、歌が数限りなく聞いたものだから、だけではない。ひとびとの中央で歌うのはマグロール、形容する言葉は山ほどあろうが、親愛なる方、半ば弾む気持ちで噴水の方へ向かった。
円を描くひとびとはさざ波を絵に描いたように歌を口ずさみながら揺れている。噴水を中央に、伶人は空を揺らし、波紋が広がる。
広場はひとつの泉のよう。午後の重たい光の中で、みな波紋になって揺れる。
重なる円の波紋を切るように進み、ちょうど伶人が噴水の陰に隠れた時にたどり着いた。そして、―――彼は変わった加護の下にあったと思い出した。
近くで見れば噴水は噴水でなく……ただ、莫大な水のかたまりがきらきらと、光を受け光を返して、たゆたう水面から弾ける流れを生み出しているのだ。そのみずいろ、彩もつ水の青から虹色。
音楽に乗り、音楽を生む。はねる粒の多彩な煌めき。
―――ウルモさま。
呟く。その時ひときわ大きく水は広がり、しびれるような輝きの雨を弾けさせる。
雨の雫の落ちかかる向こう、歌の最後の一連を奏でてマグロールがやってくる。
ら、ら、ら、やわらかな声で歌う伶人がわだかまる水たまりにささやかな波紋を投げかけて歩みを進め、流れ落ちる水は澄んだ青の滴を降らせ、その躍る水をマグロールは眺めやる。
―――ほほ笑む。わずか、歌はためらいの襞をもつ。
最後のひと節、それが紡ぎ出される刹那、たちのぼり細かな細かな虹色にきらめく霧になった噴水は、光をそのちいさなひと滴ずつに閉じこめたような輝きを放って、青空に溶けるように消えた。………伶人にあぶくを含んだ流れを当て弾けて。
白い風と奔流で出来た霧を浴びたマグロールは歌も忘れて佇んでいる。
水の音は消え失せ、歌もたち消えた広場で、ひとびとの声だけが最後のひと節を奏であげる。はっとしたマグロールが歌の余韻に乗せて竪琴を爪弾き、音楽は広場に染み通り、光のようにあまねく広がった。
夢から覚めたような顔をして、ひとびとが動き出す。
「引き分けかな」
マグロールはびしょぬれのままそう言った。
今日はどちらへ?こちらに訊いてくる。
―――ロドノールの森へ。そう。スランドゥイル殿によろしく。ギル=ガラドへは?あの子へは自分で言います。
マグロールは遠くを思うように目を細める。その心を引き戻すように手を差し出す。掌の上、星のようなかたちをした、夢みる紫色の粒。
霧の中から飛び込んできたそれは、確かに水の王の返答だった。
マグロールは恐る恐るといったふうに粒をつまみあげる。ためつすがめつ指先にある星を見て、それから晴れやかに笑った。
「私の勝ちだ」
―――お前のおかげかな、エルロンド。
なつかしい眼差しに、私もまた微笑み返す。水のようにまろい、幸福はここにある。