アマンの地に聳え立つペローリ山脈のタニクウェティル、とことわに白きオイオロッセに長上王の宮居イルマリンはある。
タニクウェティルのすぐ南にはカラキリアが大きく開かれ、ために目のくらむほどの断崖絶壁がそそりたつ。
開かれたカラキリアにエルダールはトゥーナの丘を築きティリオンの都を建てた。
イルマリンの南のテラスからは緑の丘の美しきティリオンを見下ろすことが出来るが、タニクウェティルにはもうひとつ東に開かれたテラスがある。
東に向いたそこからは、遠い夜がうかがえる。
ヴァルダがその日夜のもとで見かけた姿は眩く色濃い金髪の持ち主だ。
その伏せがちな瞼の奥、深い紫の瞳があまりに多くのものを見通すのをヴァルダはよく知っている。
大きく張り出した滑らかな石の下はやはり断崖である。
端近にぺたりと座ったエルダールの上級王は、見通す瞳で夜の遠くを眺めているようだった。
ヴァルダが隣にさらと座ると、イングウェは視線を遠い空から引き戻し、ほうと息をついた。
「マンウェに見られたら怒られそうだ」
「あら、どうして?」
「貴方をここに座らせてしまった」
「……あのひと好きよ。こういう端に座るのも」
あなたが端近に座っている方に怒るかもしれないわ。ヴァルダは微笑む。イングウェは幼いほどの表情で瞳を瞬く。
「何故?」
「“危ない”から」
「―――過保護ですね」
イングウェは大して表情を変えなかったが、ヴァルダの眼には拗ねているのがよくわかった。
「あなたが倒れたからよ」
こどもに言うような声を出すと、あれはその、と狼狽した声が返る。
「やってしまったな、とは思いましたが。……フィンウェも平気だったのに」
平気と言い切れるものではなかった。イングウェが倒れたので残りの2人に体調を訊いたなら、フィンウェは「そういえば頭が痛い気がする。うん痛い。私あたま痛かった…!」と言い出したし、エルウェは「ああ、吐き気はそのせいか」と納得したように頷いた。
原因は端的に言ってしまえば「空気が合わない」とそれだけのことだった。
エルダールには、名のとおりに星が要る。
星の輝く空を撫でる風が要る。
「星を、思い出していました」
イングウェはまた夜に視線を向けると、呟くように言った。
「みずうみの…」
貴方が飾った星空を。
ヴァルダもまた夜を覗き込む。遠い夜空を思い出す。きらめく銀の雫を集め、撒いて整えた。
ヤヴァンナが大地に種子を蒔くように、ヴァイレが運命の糸を紡ぐように、知り得ぬ未来と決めた現在を織り成して空を彩った。
「誰にも、いちどきりしか成しえない仕事があるのでしょうね」
イングウェは弾かれたようにヴァルダを見た。
「けれど―――わたくしは、そう、新しい星を見る日が来るような気がするわ」
夜の向こうで遠い大地は、どんな悲しみに満ちているだろう。
「希っていらっしゃい、イングウェ。あなたの祈りは正しい光。遠い夜をも越えて……届くわ」
遠い夜を。
星々の女王と星の民の上級王は並んで眺めていた。長い間。
―――星はひとつも見えなかったけれど、ふたりは確かにひとつの星を心の内に見たのだった。