喋黙

 マンドスを出ることに決めた。

 出るにはさしたる何かがあるわけではない。すでにマンドスの裁きを受けた身は、案内人を掴まえて、出ると言いさえすればいい。
 館内部の白い“扉”をくぐり、そうしたら――そこは現実のアマン。“外”だ。
 トゥアゴンはそう思いながら館を出た。“霊的なアマン”が眼前に広がる。現実世界と造りは同じその世界は、けれど“マンドス”以外のどんな建物もない。植物も動物も在るが、“命を落とした命”以外は何ひとつ見ない。

 この世界は“死んだ”もので出来ている。

 トゥアゴンは花を踏みしだきながら歩く。奇妙に気持ちがささくれだつのは、きっと“あれ”のせいだ。そう思いながらただ歩く。
 そう、“あれ”――目線の先で、花に埋もれているのは赤毛の従兄、どうやら彷徨わせた手で、花をちぎり、空に投げている。トゥアゴンは立ち止まった。
 薄明の色をした瞳は、ただ茫洋とみひらかれていて、なぜだかトゥアゴンの喉に言葉を押し込める。
 無言で膝を付き、トゥアゴンはちぎられた花を集めた。小さな束になったそれをどうしようもなく見つめていると、横から声がかかる。
「行くのか」
 見れば、従兄はまたちぎった花を持って、身を起こしてこちらに言う。
「花でも持って行け」
「……なぜ」
 投げつけてきた花を拾いながら問うと、彼はたいして面白くもなさそうな表情で言う。
「咲いているから」
 トゥアゴンは周囲を見た。
「喜ばしいことだから」
 彼の声が耳を打つ。
「綺麗だから。美しいから。楽しいから。理由はなんでもいい」
 トゥアゴンは、ちいさな花束を見つめる。無造作にちぎられた茎は不揃いだったが、葉や花びらには不思議と傷がないのだった。
「好きだから」
 ぴくり、とトゥアゴンは身じろぎする。声がまた続けた。
「ついでにせいせいする」
 屈み込む。手を伸ばす。彼は目を閉じている。まるで人形のようにひそやかに。花が従兄に振りかかる。ああそういえば、赤い花だけがない。
 

 トゥアゴンは、間近にあるマエズロスの瞳をまっすぐ覗いて言った。
「あなたは黙った方が良い」
 彼はゆっくりと目を伏せた。触れ合う睫毛が歌うよう。

 従兄の手が動く。目の前に差し出されたのは赤い花。そして彼はゆっくりと首をかしげてみせる。
「……君は、喋った方が良い」
 ぱしんと乾いた音がして、赤い花が舞い落ちた。従兄は笑った。泣き出すかと思った。
「――もう、いく」
 トゥアゴンは短く告げて立ち上がる。従兄が微笑んだままぱたりと寝そべる。
 黙られると花に埋もれたその姿はいっそう人形じみてきて、トゥアゴンは背から身体の中心を冷たい塊が通った気になる。きつく握った手がわずかに震える。
 マンドスの館へ戻って扉をくぐり“外”へ出る前に、きっと私は兄を捜す。
 扉を出て、二度と戻らぬ館を、至福の地で私は夢見る。
 その痛みは私ひとりの祝祭日。彼のではなく。

 館に入る瞬間に花を持てば良かったと少し思った。