イスタリ 

 オローリンがしょげているようなので、様子を見てやっては貰えないでしょうか、と、イングウェから言われた時、エオンウェは暫く固まったまま動かなかった。
 あんまりにも意外すぎたからだ。
「………それは、え、マンウェさま絡み………だよね~~~あーわかってた!わかった!聞くね!!!」
 イングウェが口を開く前に遮った。いやマンウェ絡みだ。勿論知っていた。オローリンの名がイングウェの口から出て来るなんて、マンウェ絡み以外にはありえない。

 しかし思い返せばオローリンというマイア、エオンウェの、同僚というか部下というか――そこまで近くはないがマンウェとヴァルダの管轄という点では相当に近い――な彼の名は、いつだって誰かから聞かされる。
 一番親しいイルマレから聞かされるのは、まあ、イルマレは情報収集器みたいなものだから当たり前ではある。それにオローリンに限らず、エオンウェとしては「え、誰?」みたいな相手のことまで本当にイルマレは良く知っている。出かけもしていないのに一体どこで知るのか、怖くて聞けないでいる。
 アウレ絡みとオロメ絡みで話を聞く時には「顔が広いんだな~」と呑気な感想を持った。
 ローリエンからとマンドスから、のみならずフュイからも噂を聞いた時には「どこまで行ってるんだあいつ」とは思った。しかし二つの木の時代にほとんどタニクウェティル近辺にはいなかったのも思い出して、あの頃そのへん行ってたのか、とも納得した。
 ヤヴァンナとヴァーナ姉妹がきゃっきゃとお茶してる最中の話のネタがほとんどオローリンだったのには仰天した。何やってるんだ。ちょっと悶々とした。しかしまあ、一応総括とかそういう立場であるエオンウェに悪い噂が聞こえてこないということは、基本的に悪い奴ではないか、もう笑っちゃうくらい悪い奴か、どちらかである。
 笑っちゃうくらい悪い奴でないのは知っている。そこは曲りなりにも同僚だか上司的な先輩だか、その辺の立場であることもふまえて、話したことのある身としての判断である。
 オローリンにまつわる話で最も辟易したのは、ティリオンと――アリエンとエアレンディルと、つまりお空に輝くトリオ絡みの時だった。
 ティリオンが不機嫌でなんかヤな感じ、といった内容をもう少し煙に巻いた言い方でアリエンから聞かされたのが最初だった。別にエオンウェに絶対言おうと思っていたわけではなく、たまたまそこで、ちょっと会ったから言っておくけど、くらいな発言だった。アリエンは詳しく聞く暇もなく規則正しく太陽の船を出航させてしまったし。
 ティリオンが不機嫌て、あいつが情緒不安定なのはいつものことだろ…と少し楽観視していたエオンウェではあったが、アリエンが言い出すのは実に珍しいことに思えた。あの!アリエンが!あのティリオンに長年ストーカーされ続けてビクともしないアリエンが!トっ外れている所がないと多分、太陽も月もやっていられないものなんだろうとか思って放っておいたが、これはついに愛想が尽きたとか耐えきれなくなったとか…。とどきどきしながら踵を返す。とそこにいたオローリンとぶつかりそうになる。
「………やあ?」
 いつからそこにいたんだと曖昧な挨拶をすると、オローリンは夢から覚めたみたいな顔つきで、慌てて挨拶をしてその場を去って行った。
 挙動不審と言えなくはなかったが、それを問い質す前に近くからあきらかに「ヤな感じ」がした。はたして見やるとティリオンがいて、このマイア一のイケメンがそれはもう壮絶に胡乱な目つきで去り行くオローリンをねめつけていた。「気に食わない」とどう見ても視線に書いてあった。
 いやちょっと待てお前西に戻ってくるの早すぎるだろう、アリエンストーカーもいい加減にしろ…と茶化せないくらいの冷え冷えした眼差しに、エオンウェが息を飲んでいると、ティリオンは何やらぶつぶつ呟きながら月の島をするりと動かして行ってしまった。だからお前行くのはちょっと早いんじゃ…
 若干ビビりながら輝ける英雄、金星殿、エアレンディルをつかまえて何か知らないかと聞いたところによるとこうである。
「オローリンがアリエンを見てる?」
 それだけかよ。と物凄く叫びたくなったが、エアレンディルのかなり死にそうな目つきに黙った。
「間に入るのもうやだ」
「すいませんマイアールがご迷惑かけてます!!!」
 可哀想なエアレンディルのために、ティリオンとお話をし、それからオローリンに別に禁止されていることでは全くないのだがお空のふたりはもう長年あの微妙な関係を続けてきてやっぱり相変わらず微妙だし月がめんどくさいから云々とくだくだしく語ったところ、オローリンは大人しくご迷惑でしたすみません、と言った後、でも、と続けた。
「アリエン殿の火がとても美しいので…」
「………ちなみにほら、アウレ様の火とか、ヴァルダ様の光は…」
 とか迂闊にも聞いてしまったエオンウェに、そこから怒涛の火語りがオローリンからぶっ放された。エオンウェは悟った。あ、こいつ、火好きな性だ。でもキラキラ女子も好きだわ。

 だいぶ、話も思考も逸れているが、今の問題はマンウェとオローリンである。
 また「オローリンはどこ?」病が始まったんだろうなあ、とエオンウェは溜息をついた。
 マンウェが「オローリンはどこ?」と頻繁に言うようになったのはわりと最近のことだが、これがまた、ことごとくその時にオローリンは不在なのである。別段大した用事ではない。というのも、少し経ってオローリンが見つかって、彼が参上すると、マンウェはほぼ例外なく言い放つのである――なんだっけ、と。
 エオンウェからしてみればハイハイ思いついた時にいなくて悪うございましたねっと言ったところだが、まだまだ若いオローリンからすれば一大事なのだろう。しょげているのもむべなるかな。
 ―――と思いながら話を聞いてみると、予想以上にしょげていた。
「間に合わないのではないかと不安でたまらないのです」
 要約するとそういうことを、じっくり、長い時間かけて、物凄く口の重くなったオローリンから聞き出したエオンウェである。オローリンはいつもの如く旅慣れた感のある灰色衣で、彼らしくもなく憂鬱そうな表情で東側の回廊にぽつねんとしていたのだが、エオンウェが行くと困ったふうに笑ってみせた。
 オローリンは基本的に陽気な質だし(そしてこいつは結構な激情家でもある、とエオンウェは読んでいる)、他の者に自分の負の感情を見せようとはしない。そういうところはなかなかの見栄っぱりでもあるな、と思う。見栄を張るところを間違えていないのであればそれで良い。
 というわけで、同僚だか上司的な先輩だか、ともかくも年上であるとかそういう風を吹かせてうりうりと訊き出した結果がこれだ。不安か。エオンウェには「ああマンウェの犠牲者がここにまたひとり…」とかそういった感想しか浮かばない。
 それはそれでせっかく吹かせた先輩風がどうにもなっていない気がするので、エオンウェはいろいろ言って慰めた。オローリンは神妙に聞いていた。良い奴なのである。知ってた。
 まあ、でも巡り合わせってものはあるし。最終的にエオンウェはこう言った。
「大事な時を逃さなければ良い。そう……潮の変わり目をね」

 そう言った自分を思い出してぞくりとした。エオンウェの眼前で、マンウェはいつものようにこう言った。「オローリンはいずこ?」と。
 いつも通りでないのはこの状況である。中つ国へ行くマイアを決めるこの会議。招集と、議論と、推薦を経て、ふたりのマイアが立っている。クルモとアラタール。エオンウェには異存はない。しかしそこでマンウェはゆうるりと首を傾げ、いつものようにふと思い出したように柔らかな声音で問うたのだ。オローリンは……
「――ここに」
 オローリンは来た。いつものように旅慣れた灰色衣、年若く、長上王にとっては間の悪いマイアは、緊張と困惑にすこしかたくなってそこに立っていた。
 そうだこれこそが、めぐりあわせだ。戸惑ったやり取りを聞きながら、エオンウェは、重大な場に半泣きになった後輩に小さく手を振ってやった。

 サウロンの最期に関する顛末と、それにおいてオローリンの果たした役割を聞いてエオンウェは微笑む。あの半泣きでしょげていた奴がまあ立派な成長をしたものである。そして詳しく色んな事を聞いて、あるところでエオンウェは声を上げて笑った。オローリンはあの時の「潮の変わり目」って言い回しを大分気に入ったんだな。
 まもなく帰って来るだろう彼は、一別以来相当に見違えているだろうが、エオンウェは最終的には「かっこつけてたって?」とからかってやるつもりでいる。