ネッサはブラコンだった。それを自分でも重々承知していた。で、当の兄本人だけがそれをさっぱりわかっていなかった。
そんなわけだからネッサは、オロメの結婚にたいそうスネていた。
オロメが選んだ相手がヴァーナだったのにも落ち込んだ。何よあのボケボケ夫妻。
ぶつぶつと文句を言ってみても、兄が選んだ理由もヴァーナが承知した理由もよっくわかってしまっていたし、確かにお似合いだったから、このスネてるのさえ自分自身の問題で、わたくしがいけないのよね、と自覚しつつも落ち込んだ。
何に落ち込んでるのかもよくわからなくなってきて、ボ―――ッとしていると、ある時突然“なんか口説かれてる”ことに気づいた。
「ねえ、もしかしてわたくし、口説かれてるの?」
目の前の男にそう言うと、彼はにこにこと笑って(もっともネッサは彼の笑っていない顔というのは見たことがなかった)、
「そうですぞ。いつ気づいてくださるかな、と思っておりました」
とぬけぬけと答えた。
「わたくし、落ち込んでるのよ」
「知っております」
「わたくし、オロメが好きなのよ」
「それも知っておりますぞ」
「それで、わたくし、あなたのことは何も知らないのよ」
もしかしたらそれは“嘘”というものにあたるかもしれなかった。ネッサは男の名前は知っていた。彼がなぜアルダに来たのかも知っていた。
けれど、オロメについて知っていることに比べたら、確かに彼のことは何も知らないに等しかった。
すると彼はネッサの前に跪き、彼女を見上げて言った。
「わたしはトゥルカスと申します」
「……それは知っているわ」
「それではひとつはご存知だ。ネッサ、わたしは手助けのために参りましたぞ」
「それは…知っていた、と思うわ」
もぞもぞと言ったネッサに、トゥルカスは満面の笑顔で返した。
「嬉しいですな。貴女はふたつもわたしのことをご存知でしたぞ」
ネッサはどぎまぎして口をへの字に曲げた。
それ以外は知らないのに、彼はそれだけのことをとても喜ぶのだから。
その後しばらくは並んで座ってすごして、他愛ない話を重ねた。
ネッサは落ち込んでいた気持ちがどこかへ無くなっていることに気がついた。
別れる時、ネッサはふと思い当たってトゥルカスにたずねた。
「ねえ、あなた、創生の音楽の時、ひとりで歌っていたでしょう」
トゥルカスはにやっと笑った。
「……わたしは皆と一緒におりましたぞ」
ネッサも笑った。
「ええ。そうね」
トゥルカスの後姿を見送って、ネッサは考えた。
わたくしは彼のことを、みっつ知ってたわ。
名前と、理由と、そして彼の鼓動を。音楽を支えた、リズムを。