ばら色の

「蕾をみっつ採って頂戴」
 羞らうような薄紅の彩を刷いた、淡い黄薔薇を一輪持ってアナイレが言った。
 フィナルフィンは長い夢から覚めたかのごとく一つ瞬いた。
「蕾を?」
「そうよ。みっつ」
「君の花と合わせるの」
「ええ。マエズロスに贈るんだもの。――あたくしたちから」
 あえかな紅。とろける黄色の花弁。
 フィナルフィンは撫でるかたちに露を転がし、蕾を手にする。
 ほら、お嬢様。差し出すと、アナイレは髪からリボンを引き抜いて、くるくると花を結んだ。
「素敵な“ばら色”」
「……私が怒られる気がする」
 あら。アナイレは逆らえない笑みを唇に乗せる。
「怒るわけないわ。フィンゴンが届けるんだもの」
 さあ、渡してきて頂戴。フィナルフィンは肩をすくめて花束を受け取る。

 午後のあたたかい光を身に纏うように、風のそよぎに似た足取りでフィンゴンが戻ってきた。
 マエズロスは枕に顔をうずめて、ふう、と小さく息をつく。横を向いて、ゆったりと目を開けて、ゆるりと閉じて。瞬きを繰り返す。
 額のあたりにぬくもり。見上げると、フィンゴンが何だか妙な顔をして花束を見せてきた。
「、なんだ?」
「わかんないけど、あんたに」
 身を起こすとフィンゴンは傍らに腰かけて、ん、と花束を突き出した。不満気に口がとがるのに、マエズロスは笑みを抑えきれない。
「誰から?」
 花弁の円みを撫でて尋ねると、フィンゴンは明らかに拗ねた声音でこう言った。
「母上と叔父上から」
 贈り主を告げるとマエズロスは少し稚い笑みで、ふぅん、と言った。
 ほのかに色づいた頬と、光に透ける睫毛の陰。明るい午後の光を浴びて、花と同じ色に見える。
「蕾がみっつ。花がひとつ」
 ちらりと目線をくれる。フィンゴンは息を呑む。
「 “あのことは永遠に秘密”――どのことだろう」
「……たくさん、あるだろ」
「どうかな」
 指先でマエズロスは花弁を撫で、微笑むように香りを吸い込んで、物柔らかな溜息をついた。
「おれが知らないことはたくさん、」
「おまえしか、」
 マエズロスは咲き誇る花弁を一枚つまみとると、ひどく赤い舌を出して唇を舐めた。
「知らないこともある」
 花弁の色。唇に消えるその酩酊したばら色の、――
 今は雪花石膏の白い指先が、花の色に染まる時を知っている。食んだ花弁と同じ色の肌の味を、知っている。
「苦いな」
 わらったその唇を吸うと、確かに苦さが広がった。そして薔薇のものではない香気。
 花束が落ちる。蕾は澄まして口をつぐみ、開いた花はしどけなく午後の光に濡れていた。