謳詠みの恋人

【はじめに】

 そもそもの始まりは万葉集でした。万葉集読んでいて、素敵な相聞歌(※恋歌に限らず、誰かが詠んで誰かが返している「やり取り」のある歌のこと)を見つけて、ああこれフィンウェさんとミーリエルで書きたいな、と思ったのが発端です。
 やるとなったらやりすぎるのが私です。エルダールが和歌詠んでてもおかしくない土壌を作るためにイロイロ考えました。そして捏造結論。

 エルダールの教育課程には『湖の文化』があり、その中で現代(※二つの木時代)まで残っているものに【謳】がある。

 【謳】とは短歌のことを指します。長歌は【謡】です。で、クウィヴィエーネンで言い交わされたものとして習う【謳】を【古典】、現代(※二つの木時代)で詠むものを【今様】と呼びます。……で、ほら、基本的に出てくる方々ってロイヤルファミリーだから、ぽろっと詠んだ謳とか噂になってあっという間に広まったらいいよ、とか思いました。

 で、和歌って古文で書かれてますよね。日本人ギムキョウイクで古典やる。だから読める分かる。てことは、エルダール、義務教育で(笑)湖語(古文)やる。そして使う。……という図式が成立しても、良い、んじゃないかし、ら…?

 そして大っぴらに和歌を散りばめて二次創作をしようと思いました。ら、万葉集を眺めていたら、私の脳内に響いて来たのは、フィンゴン/マエズロスな一連の流れだったわけでございます。

 では、始めます(はい?)。

  ◇

 湖、――エルダールがただそう言う時、それはクウィヴィエーネンを指す。
 クウェンヤとシンダリン、クウェンディの言葉の大きな二系統はすべて、ただひとつの湖の言葉から出て発展を遂げた。
 湖の慣習、文化、言葉…その頃クウェンディは記録する手段を持たず、記憶は時の流れに追いやられた。数多くの湖の慣習は時と共に廃れ、変化し、そのままの形を残すものは今やほとんど残っていない。

 だが、ただひとつ、今もなおエルダールが好んで言い交わすものがあった。
 謳である。

 謳は決まった音数からなる韻文で、その音の制約からか、湖の言葉で詠まれることが多い。短さゆえにいっそうの情いをこめて――そうしてクウェンディは謳を詠んできた。

 謳、は湖から続くものとして、こどもたちに特に教えられるもののひとつだ。謳の短さに対して、もっと長いものを謡と呼んだが、こちらの方は詠む者のあまりの少なさに、特にこう、と例を引いて教えられることはなかった。
 謳自体、湖から伝えられるものはあまりに少ない。フィンウェの世代、それより前――正しく湖で生まれ育った者たちの記憶にしか、それらは残っていないからだ。謳は他のものと同じように、長らく、ただ口承で伝えられるものだった。その調べと言葉の思い、他に何を伝えようというのだ? そう思ったかどうかは定かではないが、謳を詠んだ者、というものについて、伝承は特に無頓着だった。【古典】と呼ばれる千余りの謳――その中で詠み人の知れているものは、片手で数えられるほどしかなかった。

 と、言うような前置きがありまして、おもむろに話を始めるわけですが。
 この謳は【古文】で書かれているという設定でございます。古文。テングワール表記法がまた何か生み出されている気がしますが(笑)、私のところではそれをやらかしたのはアングロドです。彼、なんとなくそういうイメージなのです(おい)。
 で、アングロドが書き残したテキスト【詞語】、ことばがきと謳がずら~っと並んでいる、言わばエルダール版和歌集ってことになりますか…のことばがきが、歌物語並みに物語性が強く、ネタの宝庫でしたよーってことで、後の世に【詞語】を読んだとある人物が(…まあつまり私なんですが)、現代語解釈しましたよ、という前提条件が、これから後の一連の流れにはあります。
 どんだけ捏造好きですか…。
 つまり、架空のテキストを翻案した架空の物語をさらに語るという、大ボラで出来ている語りですね、これ。
 付いていける方はどうぞ、ずずいとお進みください。

【謳詠みの恋人】

 表題作であります。フィンゴン/マエズロスな一連の流れ、これが最初。ですが出てくる謳はトゥアゴンのばっかり(笑)。
 【詞語】にはこう書かれています。

 さる日、フィンロド公子戯れに、その友トゥアゴン公子に問ひて言ふ。
  恋ひ恋ひて逢へる時だにうつくしき言尽してよ長くと思はば
 トゥアゴン公子答ふるに、
  言に云へば耳に容易し少くも心のうちにわが念はなくに
 と。その後、またさる日、フィンゴン公子、マエズロス公子に「愛ほしと言へ」とねだる。マエズロス公子、「言に云へば」とて去なむ。
 トゥアゴン公子これを聞いて笑ひ、
  念ふにし死するものにあらませば千遍そ彼は死にかへらまし

 ザ・古文。これで投げたら全く語りの意味がございませんので、ちゃんと参りましょう。

「おれのこと好き?」
「ああ」
「じゃあ愛してるって云って」
「…………」
「なあマエズロス、愛してるって云って」
「――『言に云へば』」
「え?」

 フィンゴンとマエズロスがこういうやり取りしてるわけです。何気にラブいです。まあそれはいい。「愛してる」って一言いってもらいたいだけなのに、マエズロスってば謳引いて逃げたわけです。当然フィンゴンは困ります。なぜなら。

 フィンゴンはたいそう情熱的な謳詠みで、古典は勿論覚えていたが、それよりも自分で詠む方が多く(当然の話だ、彼の謳は留まるところを知らずに溢れ出る)、対してその恋人はと言えば、古典と今様とを問わずに非常に引用に長けていた。
 何かの謳の引用であることは分かったが、悲しいかな古典ではなかった。今様から引かれてはフィンゴンにはお手上げだ。

 というような事情で(笑)。
 マエズロスは謳を詠むよりも、引用に超強いんだと思います。創作力より応用力。で、しかもフィンゴンがちゃんと覚えている千首くらいの【古典】からでなく、【今様】からの引用――意味がわからないっていうか、引いた歌がわからなかったわけです、フィンゴン。だって「言に云へば」しか言ってないもんね。わからないよね。
 というわけでフィンゴンは、今様で「言に云へば」というのがあるかどうか聞きにフィナルフィン家に乗り込みます。
 するとフィンロドが「それ昨日私がトゥアゴンに言ったやつ」とか言い出して、フィンゴン喜びます。しかし。

「わたし、トゥアゴンと久々に会ったのに、トゥアゴンったらいつものことだけどだんまり決めこんじゃってわたしに会いたかったの一言さえないんだよ。失礼しちゃうよ。だからわたし言ったんだ。
 恋ひ恋ひて逢へる時だにうつくしき言尽してよ長くと思はば、ってさ」
「その返しが『言に云へば』――?」
「そう。でも教えてあげない」
「な」

 いじわるされました。仕方なくフィンゴンはトゥアゴンを問い詰めました。
 トゥアゴン、わりと簡単に答えました。
 「言に云へば耳に容易し少くも心のうちにわが念はなくに、です」
 そして爆弾発言を始めます。

「……あなたがそう言うということは、フィンゴン、――マエズロスが云ったのですか」
 ハ、とトゥアゴンは笑った。
「言ってやりたいものですね。
 念ふにし死するものにあらませば千遍そ彼は死にかへらまし」
「…まさか」
「わからないんですか、フィンゴン」
「おまえとマエズロスの仲が良いわけがわかったよ」
「何キモチワルイこと言ってるんですか。良くなるような仲がありません」

 ……すいません、ウチのトゥアゴンとマエズロスは非常に微妙な関係です。
 こういう流れでまずは三首。それでは、歌の意味を見てみましょう。

 恋ひ恋ひて逢へる時だにうつくしき言尽(ことつく)してよ長くと思はば
  「恋焦がれてやっと会えた短い時には、ありったけの愛の言葉を囁いてください。二人の関係を長く続けようと思うなら」

 ちょっと拗ねてるフィンロドらしいと思いません?(笑)
 トゥアゴンはフィンロドといる時はとりわけ無口になるようなイメージがあります。
 で、そのトゥアゴンの返し。

 言に云へば耳に容易し少くも心のうちにわが念(おも)はなくに
  「言葉にして言ったら、なんでもないことのように聞こえるよ。こんなに私はおもっているのに」

 洗練されてて少々ムカつきかねませんが(爆)。
 これを聞いたマエズロスがフィンゴンに対して使うわけです。その場合はこんな意味ではないでしょうか。

「お前を愛していると言葉にしていえば、なんでもないことのように聞こえることだろう。こんなにおもっているのに」

 「愛してるって云って」への答えですから。……しかしウチのマエズロスは、後からじんわり恥ずかしいことしてるようにしか思えません。おいおい。
 で、そんな軽く恥ずかしいこと言いやがったってのはトゥアゴンも分かります。ですので、揶揄って言うわけです。

 念(おも)ふにし死するものにあらませば千遍(ちたび)そ彼は死にかへらまし
  「死ぬほどに思いつめたら一度死ぬという掟があれば彼の人は、死んでは生き返り、思いつめてはまた焦がれ死に、そんなことを千度も繰り返すでしょう。烈しいことで」

 トゥアゴンとマエズロス、嫌味の方向性が良く似ていると思います。フィンゴンは呆れます。しかしトゥアゴンは、仲が良いなんて死んでも認めたくないので全否定です。うーわー。

【聞答】

 さて、そんなことがあった後のこと。宴の席でマエズロスは好きな謳を聞かれて
「念ふにし死するものにあらませば千遍そ吾は死にかへらまし」と答えます。どこで聞いたんだよ、と突っ込みたくなるような感じで、トゥアゴンの件の揶揄をわが身に置き換えて答えております。
 トゥアゴン、マエズロスに物申します。

「……一度、言おうと思っていた。あなたが謳を詠まないのにはそれなりのわけもあろう。だが、引く謳がことごとく私の詠むものだというのは、どういうことだ」
「特に理由なぞない。――下手なものでね。賢者の君のが良かろうと思っただけのこと。……フィンゴンの謳は上手すぎて困る」

 殺伐とした会話です(笑)。
 自分で詠むよりもしっくり来る謳を先に思い出すだけ、と言ってマエズロスは会話を打ち切ろうとします。トゥアゴンは「詠めないのか」と挑発します。するとマエズロスは答えます。
「わが情焼くも吾なり愛しきやし君に恋ふるもわが心から」

「こんな謳」
 声は落ち着いていた。
「誰に、云えと?」
 フィンゴンに云え、とはどうしても――言えなかった。
「私に――云ったな」
 かすれた声で呟けば、ああ、マエズロスは陶然と微笑んだ。
「云った」
 聞かなければ良かった答だった。

 改めて嫌なオチですね…。
 歌の意味に参りましょう。宴の席でマエズロスが引いたのは【謳詠みの恋人】で出てきた揶揄の歌です。意味は対して変わらないのですが、自分主体の歌になりましたから、ちょこっと変わります。

 念ふにし死するものにあらませば千遍そ吾は死にかへらまし
  「死ぬほどに思いつめたら一度死ぬという掟があれば私は、死んでは生き返り、思いつめてはまた焦がれ死に、そんなことを千度も繰り返すでしょう。それほどの烈しい思いなのです」

 まあ、なんて情熱的な謳ですこと(笑)。しかしこれ、他人のを引いてきたわけです。対してマエズロス本人が詠んだ謳は、といえば。

 わが情(こころ)焼くも吾なり愛(は)しきやし君に恋ふるもわが心から
  「私の心を恋の炎で焼いて苦しむのは私。…愛しくてたまらないひとを恋しくおもうのも私。誰にも文句の言えないことだ」

 微妙に冷めてます。

【愛し恋しの謳】

 時の流れは止まりません。ノルドールはアマンを出て中つ国にやって来ました。公子たちはベレリアンドに散らばっています。マエズロスはヒムリングにいます。すると。

 フィンゴンから手紙がくる。
 使者が可哀想になるくらい頻繁に、ヒスルムの湖のほとりから、寒き山の上まで――手紙が、くる。
 謳詠みを、当代随一の情熱的な謳詠みを恋人に持って、後悔したくなるのはこのような時だ。
 あいたいと、直接に言うやり方ならばいい。
 言うことで発散する。それは私もフィンゴンも変わらない。けれど、謳がくる時は。
 ……ふたつ、続いての手紙がどちらも謳だった、――私は寒き山を下りた。

 もう、フィンゴンから手紙が来まくるわけです。普通の用件なら良いんですけど、たまに思い出したように謳が来ます。ええ、当代随一の情熱的な謳詠みですからものすごく直球にいろいろ、来ます。で、マエズロスはついに会いに行きます。

「『わが見ざる間に』と云おうと思った」
「…お前が古典を引くとは珍しいな。――『君が見し』と応えたいな」
「よく言う」
「フィンゴン」
「………云う前に来たな」
「私が会いたくないとでも?」

 あらフィンゴンがやさぐれてます(笑)。ここで珍しく引用している歌は、超有名古典だと思ってください。後ほど解説いたします。
 で、会えたわけですからそれなりに楽しく時を過ごし、フィンゴンは「あんたの詠んだ謳が知りたい」とか言い始めます。件の微妙に冷めてるアレのことです。マエズロスは教えません。絶対に口を割りません。

 別れの朝にもフィンゴンは謳を詠んだ。
 帰したくないと叫ぶ代わりに。

 君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも

「知ってるだろう。たとえ焼け果てた道でも――私は行くのだと」
 フィンゴンは、笑った。
「あんたはそうやって、はぐらかす」

 謳で送って別れるわけです。だんだんシリアスに突入してってます。
 歌意に参ります。

 夢の逢(あい)は苦しかりけり覚(おどろ)きてかき探れども手にも触れねば
  「夢の中であんたに会うなんて辛すぎる。夢からさめて辺りを探っても手にも触れないんだから」

 けだくしも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ 
  「もしかすると、人の中傷でも耳にしたのか。こんなに待ってもあんたが来てはくれないのは」

 お手紙で来た謳でした。どっちも「あいたい!」と言っております。ちなみに会いに言っても門前払いされそうな時には

 かくしてやなほや退らむ近からぬ道の間をなづみ参ゐ来て
  「こんなにまでして来たのに、やっぱり追い返されるのか? 遠い道のりを苦労して逢いに来たのに!」

 とか詠んだり、会えたは良いけど離れがたくてずるずる居座った挙句にようやっと帰ったら、帰ったと思えば

 相見ては幾日も経ぬをここだくも狂ひに狂ひ思ほゆるかも
  「逢ってからまだ何日も経っていないけど、どうしてこんなに苦しい。あんたが恋しい。狂いそうだ」

 とかお手紙が来たりするんですよ。当代随一の情熱的な謳詠み、マエズロスが愛で殺されそうです(笑)。
 とどめの一首。

 君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天(あめ)の火もがも
  「ああ、あんたが行く遠い道を全部畳んでしまって、天の火で焼きつくせたらいい!」

 畳まれて焼いてしまえば、距離的には短くなりますよね。そう言っているのにマエズロスったらはぐらかします。焼いたって焼けたその道を行きますよ、と。
 それはさすがに酷いと思ったのか、ヒムリングに帰ってから、マエズロスはフィンゴンに手紙を出します。
 「愛しきやし君に恋ふる」とだけ書いて。
 詠んだ謳の断片だけを送ったわけです。

【君を離れて】

 長い時が過ぎました。マエズロスもフィンゴンもマンドスにいます。結構ハッピーライフ的です、ウチのマンドスは。
 最近の話題といえば【古典】と【今様】の分類についてです。その昔、マエズロスが習った時は一応「湖」で詠まれたものだけが【古典】でした。アマンに来てから詠まれたものは【今様】だったのです。
 いい加減に随分時が経ちまして、そろそろアマン発の謳も【古典】扱いしても良いんじゃないか。そんな結論が出掛かってます。

「つまり?」
「お前の好きな謳は立派に古典だ」
「おれの好きなのって、
 光満つ岸辺の守鳥はぐくもる君を離れて恋に死ぬべし、のこと?」

 フィンゴンの好きな謳です。
 【古典】も【今様】もあまり詠み手が誰かということには頓着されていないのですが、この謳はしっかりばっちり詠み手が知れています。ミーリエルの謳です。
 するとフィンゴンはこんなことを言い出します。

「そうだ。おれ、あんたの講義受けてみたかったんだ」
「は?」
「マグロール以下弟たちにはしたんだろ、講義。おれカランシアに自慢されたもん」
「もんとか言うないい年して」
「あんたがコドモ扱いするからだ」
「………この分野を私がお前に教えるのが間違いだと思うのだが」
「でもおれ、詠むの得意だけど解釈苦手だぞ」
「あれほど詠む奴が何を言うか。お前のは、文学としての勉強が苦手だと言うんだ。苦手でも良いだろう、それだけ詠めるんだから」

 そうは言いますが、根負けしたマエズロスは「講義」をするはめになります。教材はこの歌。

  フィンウェ王御製
 行く道の難きを知りて請いませば羽ぐくみもちて行かましものを
  返し
 光満つ岸辺の守鳥はぐくもる君を離れて恋に死ぬべし

 さあ、モメます。これは求婚歌として知られていますが、それちょっと違うんじゃない?というわけです。「これは求婚と言うより、フラれそうになって、それで終わってたまるか!という謳じゃないのか?」とか(笑)。

「……大体、ミーリエルおばあさまに求婚し続けたのがおじいさまだってことくらい、常識だろう?」
「え!? そうなのか?」
「…常識、じゃ、ないのか?」

 常識じゃありません。
 世間一般には、千回求婚して千回フラれたとか知られてません(ええ?)(そんな設定(笑))。

「私でいいのか。ものすごい重罪人で、男で、お前の従兄で、性格もヒネてるぞ」
「あんたじゃなきゃイヤだ」
「――つまり、そういう謳だろう、これは。求婚と言えば求婚、確認と言えば確認、逆ギレといえば逆ギレだ」

 睦言云いつつ、結論はそんな感じです。
ただひとつ引っかかるのは、

 「私でいいの?」「あなたがいいの!」なやり取りをするには、おかしな関係だ。
 「私でいいのか」と聞き続けたのはミーリエルの方だ。今さらフィンウェが聞くはずはない。単純に意味だけとらえれば――そうだな、この謳から読めるふたりの関係は、事実とは逆だな。……なぜ誰も指摘しなかったんだろう。

 ということ。結局のところ、この謳は実は結婚してから詠まれたもので、「それでもいいの?」の「それ」の部分は「王位」だったわけです。スッキリ疑問が解決したところで、フィンゴン、猛攻です。「で、あんたの詠んだ謳は?」

「カケラだけじゃ足りない。全部、くれよ、マエズロス」
 見据える瞳を逸らしてはいけない。突き動かされるように声が出た。
「――わが情焼くも吾なり愛しきやし君に恋ふるもわが心から」
「やっと聞けた」

 「あんたの告白だ」とフィンゴンは喜びます。マンドスでこのふたり、いっつもこんな感じです(遠い目)。
 歌意です。

 行く道の難きを知りて請いませば羽(は)ぐくみもちて行かましものを
  「これから進む道がどんなものであるのか分かっていてそれでも望んでくれるのなら、羽でくるむようにして連れてゆくものを(あなたはまだ、分かっていないよ)」

 王位に関してはアレコレあるふたりです。
 何気にフリ返してるかのようなフィンウェさんの謳。
 ミーリエルは負けません。

 光満つ岸辺の守鳥(すどり)はぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
  「鳥が大きな羽を広げて暖かく子を抱くようにあたしはあなたの愛情に包まれて生きてる。そのあなたに離れるなんて…あたしはきっと恋しくて焦がれ死ぬわ
   (さあ、連れていって。覚悟は出来てる)」

 君を離れて恋に死ぬべし。フィンゴンが好きだと言うのも、納得な気がしません?

【恋編み】

 こうして和歌を散りばめて創作するわけですが。語り残した歌がありますね。
 『わが見ざる間に』『君が見し』のやり取りです。
 超有名古典。詠み手不詳。でもエルダールなら皆知ってる。そんな謳です。

 たけばぬれたかねば長き君が髪わが見ざる間に掻き入れつらむか
  「結おうとすればするするとすべって結えぬ、編まないとしたら長すぎるあなたの髪を、私が見ない間に掻き上げて美しく結ったのでしょうか?見たいものです」

 人みなは今は長しとたけと言えど君が見し髪乱れたりとも
  「私の髪はずいぶん伸びて、皆結えとか長すぎるとかうるさく言うけれど、あなたが好きだと言った髪を、乱れたとしてもどうして変えるでしょう?」

 この謳にはこんなエピソードがあったりします。

  ◇

「恋編みの発祥の謳を習った!」
 そう叫んでフィンゴンが飛び込んで来た。
「…ほぉ」
 ――マエズロスは慌てず騒がず脇に積んであった杯をひとつ取り出すと、注いで向かいの席に置いた。
「詠み手不祥だったろう」
「うん」
 フィンゴンは飛び付くようにくーっと飲み干してぷは、と息をつく。
「なんで?マエズロス知ってる?」
 無邪気に聞くフィンゴンの杯にまた注いでやりながらマエズロスはにやりと笑った。
「恋編みどころか、たったひとり以外に髪をいじらせない方がいるだろう。身近にひとり」
 フィンゴンは首をかしげた。
 恋編みははるか昔からの風習ではない。恋人に編んでもらったひとすじ、その髪だけはどんなに結を変えてもほどくことはない。心が変わらぬ限り。
かなり最近の風習だとはっきりわかるのはその性質ゆえだ。湖世代は恋愛婚ではない。生涯の伴侶に恋をするのだ。出会いはごく早くにおき、心が成れば結婚――体が相婚する。
 身近。それはつまりフィンゴンにとっては身内と置き換えても良い。目の前の従兄もそうだ。
 フィンウェ王家の顔触れを思い浮べながら、フィンゴンは彼らの髪について考えた。フィンゴンの家は黒一辺倒だが、従兄の家はとりわけ色に富んでいる。もう一方の従弟の家だって充分にきらきらしいが。
「?」
「触りたがりのお前なら触ったことくらいならあると思ったが?」
 あれだけ長いのはめずらしいだろう? 
 フィンゴンは目を瞬く。浮かんだ人物は、確かに「たけばぬれたかねば長き」見事な黒髪だったが――
「……え、じゃあ」
「ふ、どんな情熱的な恋人たちかと思ったら父と祖父だった時の衝撃は忘れがたいぞ」
 その時のマエズロスほどではなかったが、フィンゴンにも衝撃的だった。あの伯父なら詠みかねないが。そして祖父なら返すだろうが。
「……あれって、新婚夫婦の謳じゃない、ん、だ…?」
「私はもう諦めた。お前も諦めろ。気にするな」
 フィンゴンは恋編みに軽く疑惑を抱いた。だまされてる。

  ◇

 ………という、事情であります。実際謳が詠まれた状況は『千尋の操』の方で話になっております。ご興味ありましたらそちらもどうぞ、ご覧くださいませ。
 (※そのうちサイトには上げようと思ってます…フィンウェさんと、フェアノールとネアダネルのぐるぐるした話ですが)

【むすびに】

 全部で十三首ばかり散りばめてみました。すべて万葉集からの引用ですが、一部、歌を変えているところがございます。元歌と巻数、歌番号を載せておきますので、万葉集を読もうかな、等と思いましたら確認なさると面白い、かもしれません。あえて作者は省きます。偏ってまして…。
この本を手に取っていただけて幸いです。今回はフィンゴン/マエズロスでお届けしましたが、読み様によってはいくらでもネタが出ると思います。古典読みが楽しくなりますように願っております。

恋ひ恋ひて逢へる時だにうつくしき言尽してよ長くと思はば (巻四 第六六一歌)

言に云へば耳に容易し少くも心のうちにわが念はなくに (巻十一 第二五八一歌)

念ふにし死するものにあらませば千遍そ吾は死にかへらまし (巻四 第六〇三歌)

わが情焼くも吾なり愛しきやし君に恋ふるもわが心から (巻十三 第三二七一歌)

夢の逢は苦しかりけり覚きてかき探れども手にも触れねば (巻四 第七四一歌)

けだくしも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ (巻四 第六八〇歌)

かくしてやなほや退らむ近からぬ道の間をなづみ参ゐ来て (巻四 第七〇〇歌)

相見ては幾日も経ぬをここだくも狂ひに狂ひ思ほゆるかも (巻四 第七五一歌)

君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも (巻十五 第三七二四歌)

大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみもちて行かましものを (巻十五 第三五七九歌)

武庫の浦の入り江の渚鳥はぐくもる君を離れて恋に死ぬべし (巻十五 第三五七八歌)

たけばぬれたかねば長き妹が髪この頃見ぬに掻き入れつらむか (巻二 第一二三歌)

人みなは今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも (巻二 第一二四歌)