ふたりひとり

 工房の開けた一角に、ぽつねんとドワーフがひとり、座っていた。
 何の特徴を探すまでもない。この地にドワーフはひとりしかいない。
 その傍らにいつもいるエルフを探して、見当たらないことを不思議に思った。

 *

「喧嘩した?」
 突然聞かれたことに、わたしは息を落ち着けようと思う。
「何故だね?」
「今ここに、レゴラス殿がいないから」
 わたしはひきつるような笑みを返す。ああ確かに、あの王子様は近頃すっかりわたしの傍にいる。それが例えば彼に馴染みのない、こういう工房であっても――どこでも。わたしのいるところにはどこでも。
「レゴラスはちゃんと馴染めているのだろうか」
 とか、そんなことをどうやらわたしは言ったらしい。
 かつんかつん、石と戯れていたエルフの殿はぱたりと作業の手を止めて、瞬きを忘れたみたいな水色の目でこちらをじっと見つめた。
「あなたのエルフはこちらに馴染むとかはどうでも良くて、あなたと一緒にいたいんだ」
 いささか早口で言われたことならわたしも良く知っている。
「だから…」
 心配なんだ。後の言葉は飲みこんだ。
 近頃彼はずっとわたしの傍にいる。
 それが嫌なわけではない。だけど不意に、レゴラスが、なんとも言えない眼差しをするものだから、――わたしは胸が苦しくなる。
 あの眼差しに近いものはもう、ずいぶんと昔に思える……旅の間。わたしがガラドリエルさまのお髪を頂いた話をした時に。そう、きっとあれが最初で。だけど近頃はもっと違う色を乗せて、わたしを見つめている。
「俺は俺のドワーフに、何一つ憂うことなく生きて欲しかった」
 エルフの殿が言う。わたしは弾かれたように彼を見る。彼の眼差しも、あの色に近いものを帯びているように思う。
「彼が去った後の俺のことなんて、絶対に考えて欲しくなかった」
 去った後の、こと。――ああ、それは。
「……それで、どうだったのかね」
 薄く曇った気分で続きを促すと、エルフの殿はそれはそれは自信ありげに笑った。
「俺は多分、全然うまくやれなかったと思う」
「なっ」
 にんまり笑んで言うのがそれか。わたしが少し眉を顰めると、彼は夢みるように眼差しをとろかして言う。
「だって俺のドワーフは、とても聡くて、頑固者で、俺を丸ごと甘やかしてくれていて、つまり、俺がそう思ってることなんてお見通しで、そういう振る舞いに付き合ってくれてたんだ」
 今でも、ときめく。彼のことを思うと。熱を帯びた声で続けたエルフの殿の眼差しにはあの色と、それから――

「ギムリ。ギムリ?」
 一番聞きたかった声にわたしがはっとすると、眼の前でレゴラスが眉を下げてほうっと息をついた。
「レゴラス」
「うん。…良かった。呼んでも気づかないのだもの。あんたがどこか遠い処へいってしまったのかと思った」
 ごく軽く続けた声が少しだけ震えているように思えた。わたしは、ふん、と鼻を鳴らした。
「ちょっと考え事をしていただけだ」
「うん」
「ほら、心配ないって言っただろう。緑葉殿」
 頷くレゴラスの横で、エルフの殿がけろりと言った。レゴラスは途端にきりきりと眉を顰め、彼を睨んだ。
「はいはい、銀手殿はどうぞ、行ってください」
 つっけんどんに言うのがどうにも可笑しくて、わたしが吹き出すと、レゴラスが勢いよく振り返った。
「ギムリ!?」
 わたしが笑いを止められていない間に、エルフの殿は柔らかな眼差しを投げかけて去った。レゴラスは何度かわたしの名を呼んで、もう、と言った後に――笑い出した。
「レゴラス、なんで、あんたまで、笑う…」
「そんなの、ギムリが、笑って、るから」
 ああ困った。おさまりそうにない。だけどそう、好きなだけ笑い合ったら。
「話が、ある、んだからな、レゴラス」
 レゴラスは笑いながらほろほろと涙を流して、頷いた。

 *

 ドワーフと、エルフが笑い合っている。なんてまあ素晴らしいことじゃないか。
 ずいぶん歩いて振り返ると、ふたりは静かに、静かに寄り添っていた。
 開けた一角だって言ったろう。だけど、あのふたりにはそんなこと、もうどうでも良いのだろうけど。